2011年9月3日

自分を信じる

 

歯科衛生士専門学校の2年生のある夜、教務の先生から電話がかかってきた。

「明日、○○病院の実習に行かなくていいから、学校に来て」

私が初めて体験した挫折感だった。

 

学校へ行くと、担任の先生と教務主任の先生の3者面談が待っていた。

どうやら理由は「実習先の院長先生がかなりご立腹だと。彼女をもう実習へ来させないでくれ。」と学校に電話がかかってきたらしい。

 

頭をとんかちで殴られたかのような衝撃を受けたのを覚えている。

当時の私は実習生として一生懸命学ぼうと、一生懸命質問をした。

質問することは学生の権利のように考えていた。

それがいけなかったらしい。

どうやら聞いてはいけないことを聞いたらしい。

答えられない質問をしたらしい。

 

当時の私には理解できなかったが、とにかく私のせいで教務の先生や、そこで勤める先輩衛生士に迷惑をかけたことになんとかお詫びをしなければと思った。

次の日、重い気持ちをひきずって、その実習先へ出向いた。誰も私に声をかけてくれない。

とにかく謝った。わけがわからず涙を流して謝った。

ひたすら落ち込むだけだった。

 

次の実習先では質問をしないようにしよう。そう心に決めて心機一転がんばろうと思った。

そのがんばりがまた裏目に出た。

私の実習日誌の内容が気に入らなかったようだ。

私は正直に見たこと、感じたことを書いただけだった。

完全に問題児扱いされた。

友達からもダメだしばかりをされ、どんどん自信を失っていった。

 

そうです。この頃から気づき始めました。自分はトラブルメーカーの素質があることを。

 

おちこむ私に母は強きな口調で言った。

「先生から電話がかかってきたときにうちの子は筋が一本通ってますから!って言っといたから。」

その時は親バカの醜態をさらしているようで、恥ずかしかったけど、ひそかに嬉しかった。(私を信じてくれる人がいる・・・)

 

基礎勉強がなんとも退屈で授業中はほとんど寝ていた。点数はいつも赤点ギリギリ、1年生の時は落第寸前だった。

得意の実習で挽回しようとがんばった結果が出入り禁止令を出され、学校始まって以来の問題児じゃないかと落ち込んだ。

就職するのが怖かった。

また院長先生に嫌われるんじゃないか、学校に汚名を残すんじゃないかと不安で一杯だった。

 

始まる就職活動。教務は当然推薦なんかしてくれない。

自分で求人案内を見て、希望を伝えた。

目を引いたのは「やる気のある人、勉強熱心な人を望む」の一文。

 

そこは当時3分待てば電車が来るような都心の自宅から1時間半ほどかかる田畑が広がるローカルなバス路線にある診療所だった。

見学に行くと、傍らで遠慮気味に見ている私に、院長先生はレントゲンを見せてくれて、「○○になっているから、こういうことに気をつけてこういう治療をしている。」と説明してくれた。

 

正直驚いた。質問をしていないのに、私が知りたいことを教えてくれる先生がいたからだ。

「僕は自費だから良い治療というのはおかしいと思う、保険でも最高の治療が受けられることが医療だと思っている」その言葉に感動した。

(この先生なら私を受け入れてくれるかも・・・)

即断即決で、その日のうちに就職を希望した。

教務の先生も喜んでくれた。

 

でも現実はやはり甘くなかった。そう簡単に自分のキャラが変わるわけもない。

就職して1年間はかなりきつかった。

帰りのバスの中では毎日涙をこらえ、家に着くとあふれ出ていた。

おしっこから血が出た。

 

働き出して1ヶ月余りたってからだったろうか、母親が私の職場に挨拶に訪れた。

家業を営んでいたので、4月は忙しくて、直ぐには来れなかったのだ。

私はその席には同席しなかった。

院長からなんて言われているのか、気になって仕方なかった。

バス停まで送りがてら聞いてみると

崖から突き落とすって言ってたよ。」

「えっ?!他には?」

「鼻をへし折るって」

「で、お母さん、なんて言うたん」

「はい、うちの子は根性だけはありますから、どうぞお願いしますって言うといた。」

ショックで気絶しそうになった。

 

それからも毎日いつ「もう来なくていい」と言われるだろうかとびくびくしていた。

でもここで挫折をしたら学生のときと同じで今度こそ就職できないと必死で耐えた。

がんばればがんばるほど空回りする毎日。

今日もまた院長室へ呼ばれて叱られる。

「もうこれ以上がんばれません!」震えながら涙で訴えたこともある。

 

転機が訪れたのはレポート提出が始まってからだ。

毎週院長から文献を渡される。

それを読んで、・要約・疑問点・感想を1枚の白紙のコピー用紙に書いて提出するのだ。

私にとってわからないことだらけで、何度も読み返し、わからない言葉、理解できない文章にアンダーラインを引き、番号をつけた。

そしてそれを疑問点として何がどうわからないかを書いた。

すると私のレポートが真っ赤になって返ってきた。

院長が赤字で全部の質問に回答をしてくれているのだ。

いつの間にか私も意地になっていた。

院長が書くスペースがないくらい質問で埋めてやろうと思った。

院長は命一杯小さな文字で余白という余白にコメントを書いてくる。

まるで院長と根比べをしているかのようだった。

いつの間にかそれが私の存在意義になっていた。

 

ある日曜日の深夜、午前1時を回っていた。

私は小さな蛍光灯をつけてレポートを書いていた。

トイレに起きてきた父親が珍しく私の側に来て座った。

「な~ますみ、どれだけがんばっても歯科衛生士は歯科衛生士や、歯医者にはなられへん。

お姉ちゃんみたいに楽しくていい給料もらえるところ行ったらええやん。

女の子やねんから、どうせ結婚するまでやねんから・・・」

 

それまでどれだけ私が落ち込んで悔し涙を流していても「ぐちぐち言うな!」と怒鳴りつけ聞く耳すら持ってくれなかった父がそんなことを言い出すなんて意外だった。

と同時に自分がとても情けなかった。父からすれば娘を心配して、見るに見かねての言葉だったのだろうが、私からすれば楽な道を選べ、お前には無理だといわれているようで、とても辛かった。

 

と同時に意を決した。

『今、決を割るわけにはいかない。あの院長に認めてもらうまで辞めるわけにはいかない。この勉強は無駄じゃない、今私がしている経験は無駄になんかしない。』

そう、私はいつも反発する性質なのだ。そして自分の中で一本筋が通っているのだ。

 

時は過ぎ、フリーランスになっても私のトラブルメーカーのエピソードはまだまだ続く。

生き方が不器用で散々言われ続けた「正直すぎるんだよ」「損をしてるよね」

(なんでもっと上手に立ち居振る舞いができないのだろう・・・)

 

理想ばかりを語り、誰も自分を理解してくれないとひがむことが多かった。

ひがめばひがむほど、落ちていく負のスパイラル。抜け出せない空回り。

どん底へ行かないと気づかない自分の愚かさ。

そう他人が私を理解してくれないんじゃない。

私が他人を信じていなかったんだということを。

子育てをして初めて気づいた、大切なこと。

人を育てるのに必要なことは相手を信じるということ。

「あなたにもできる。あなたならできる。誰にだってできる。

私にもできることは、誰にだってできること。」

 

私なんて恥ずかしいくらいちっぽけな人間です。

散々落ちこぼれてきました。

だから正直に言えるんです。

知らないことは教えてほしい。

何でもすばらしいと感動できる。

そしてそれを素直に伝えたいと思う。

周囲の人たちがとても素敵な人たちだと心から尊重できる。

 

うそをつけない自分で良かった。

素直に感動できる自分で良かった。

不器用でも信念をもてる自分で良かった。

 

根っからの職人で頑固だけどお人好しな父の子で良かった。

陽気で楽天的で過ぎたことを気にしない母の子で良かった。

 

自分のもっとも理解してくれるパートナーは自分自身である。

自分を一番信頼できる人が自分であることが大切

自分らしさを大切にできる自分でありたいといつも思っている。


One コメント

2011年9月5日
まっちゅる

泣いた~泣かされました~。
なんだか、自分の新人時代の頃を思い出しながら読ませていただきました。
心の奥の方がツ~ン、懐かしや~。
長谷さんにも「こんな時代もああったねと~♪」って感じで驚きました。
人には歴史がるんですね~。
すぐにスーパーDHになったのではなくて、並々ならぬ努力があっての今のスーパーサイヤ人…いやいやスーパーDHなのですね。とても感動いたしました。
 
まっちゅる


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